はい、どうも。ヴァシコ(@vasico003)です。
今回も前回に続き『警察から逃げた話シリーズ』最終話。
このシリーズでは、ぼくがアトピーになってから警察を辞めるまでに味わったヤバい出来事を書いています。笑
具体的にはアトピーで休職、遠隔パワハラ、ヤブ医者、カポジ、からの放置、家から遠く離れた入院先からの追い出し、6日間の強制断食2セット、と実に7重苦の生活を強いられていました。
前話はこちら↓
スポンサーリンク
目次
前話までのあらすじと登場人物
当時警官だったぼくは重度のアトピーを発症し、休職を申し出ます。
しかし療養中も上司からの嫌がらせが続き、警察から逃げるために大阪の某病院に入院。
順調に症状は回復するも、退院直前にしてカポジ水痘様発疹症という感染症にかかってしまいます。
しかし入院先の主治医がヤブだったため、まともな治療も受けられず、さらに「病院の方針で入院は原則1か月までだから出てけ。」と言われる始末(゚д゚lll)
これを断るも、代わりに5日間の断食をするハメになります。
結局6日間の断食に耐え、一時的に良くなるも、食事を再開すると症状は逆戻り。
メンタル信仰の強い医者から
と言われ、心理的負荷になっていた上司からの嫌がらせを辞めさせるため
と頼みます。
結果、嫌がらせは止まりましたが、逆に症状はさらに悪化。
どうなる俺(`・ω・´)o?
登場人物
係長A…ぼくの所属する係の係長3人のうちの1人。当時50代半ばのクズ。
係長C…同じく3人のうちの1人。係長の中で唯一の善人。
ヤブ田先生…感染症の患者を放置したり、そのまま退院させようとしたりする医者。数日前に言っていたことと真逆のことを平気でよく言う。基本的にこの人のアドバイスに従うと、かえって症状が悪化する。
ぼく…当時20代半ばのクズ。
2度目の断食
先生の言う通り、心配事=上司からの嫌がらせを解消したにも関わらず、症状はさらに悪化。
先生も万策尽きたという感じで(もっともこの人の策は全て失策ですが)
などとツッコむ気力もなく
と答えるのが精いっぱいでした。
すると先生は
と確信しましたが、病院にいるには断食して時間を稼ぐしかありません。
しかたなく2度目の断食を了承しましたが、この先生のもとにいても一生治らないことも分かっていました。
こんなにテンション高くはなかったですが、当時の心境はこんな感じでした。
症状は最悪、医者はヤブ、病院はぼくを追い出したがっているけど、家が遠方だから今の酷い状態では帰ることもできない。
助かる道があるとすれば、同じ大阪にある、もともと入院したかった阪南中央病院に転院すること。
しかし阪南は入院待ちが2か月。
今入院している病院にあと2か月も置いてもらえるはずもありません。
救いの電話
そんな絶賛絶望中(と断食中)のさなか、母から電話がありました。
Y皮ふ科というのは、ぼくの地元にある病院。
ここの先生も脱ステ医で、もともと阪南中央病院はこの先生に紹介してもらっていました。
当時もまずこの病院に「阪南に入院したい」とお願いして問い合わせてもらったんですが、「入院2か月待ち」だと言われて諦めてヤブ医者のいる病院に入院したんです。
入院待ち中のみなさん、順番抜かしてごめんなさいm(_ _)m
でも、おかげで助かりました。
さらばだ、ヤブ医者( ゚∀゚)フハハ
転院申請
阪南中央病院へ優先的に入院させてもらえる旨を今の先生に話すと
この先生にはこれまで散々酷い目にあわされました。
でも、ぼくを1か月以上病院に置いておいたことで、病院からは色々言われたようです。
それでも無理矢理追い出さずに、ぼくが阪南に転院する日まで病院に置いてくれました。
本当にありがとうございます。
だけど、あなたは間違いなくヤブ医者です(´・ω・`)
スポンサーリンク
阪南中央病院へ転院
優先的に入院できるようにしてもらったおかげで、転院の連絡はそれからすぐに来ました。
阪南は特に入院期限はありませんし、(今は国の在宅医療を薦める方針のため、2か月くらいまでしか入院できないそうです。)何より日本一の皮ふ科医・佐藤先生がいます。
さらに、警察からの嫌がらせもありません。
と安心しました。
阪南中央病院での入院生活
阪南での入院生活もヘルペスや細菌感染にあったり、症状が悪化したりと一筋縄ではいきませんでした。
しかし、先生の的確なアドバイスのおかげで少しずつ快方に向かっていきました。
そして心強かったのが、同じ病気で入院している仲間たち。
彼ら(彼女ら)は皮ふ科患者のみんなでコミュニティを組んでおり、ぼくも仲間に入れてもらうことができました。
隔週で音楽の演奏会をやったり、みんなでサッカーをしたり、遊びに行ったり。
新しく入院患者が入ってきた時には、みんなで集まって紹介したり、退院する人はみんなでお祝いして送り出しました。
症状が悪化して辛い時はお互い励まし合ったり、本当に良い人たちばかりで、それもあって辛い時もなんとか乗り越えることができたんだと思います。
阪南から退院、警察退職
そして退院の日が訪れます。
ぼくは退院に先立って、上司に
と電話で伝えました。
あれだけ酷い目にあわされた警察です。
もうぼくの中には、この組織に残るという選択肢はありませんでした。
未練は全くありません。
むしろテンションあがりまくりでしたねo( ゚∀゚)o笑
そして上司に退職が認められ、退院の翌日には手続きをしに行くことに。
退院後、クズからのお言葉
病院から退院した日、ぼくは大阪から関東に帰り、その翌日朝早くに所属している警察署に向かっていました。
警察の朝は(無駄に)早く、それに合わせての来署のため、電車はまだ空いています。
電車に揺られている間、ぼくは地獄のようなこの数カ月間のことを思い返しました。
地獄だったけど人の有難みも分かった
アトピー、パワハラ、ヤブ医者、カポジ、放置、家から遠く離れた入院先からの追い出し、6日間の強制断食2セットと本当に散々な入院生活でした。
でも、それと同時に色んな人に助けてもらった期間でもありました。
大阪の某病院では、なんだかんだでヤブ医者・(美人orめっちゃいい人の)看護師さんたち・カポジ真っ最中のぼくに担当でもないのに、いつも心配して声をかけてくれた若い女性の薬剤師さん。
係長AとBの嫌がらせをやめさせてくれた係長C。
警察に怒鳴りこむと言ってくれた父。(止めたけど)
地元の皮ふ科の先生にぼくの事情を話して、どうにかしてと頼んでくれた母。
事情を聞いて、ぼくを優先的に阪南に入院できるようにしてくれた地元の先生。
阪南では、佐藤先生・看護師さんたち・皮ふ科患者の仲間たち。
そして遠方から片道3時間以上かけて、何度もお見舞いに来てくれた彼女。(翌月別れるけど)
みんなに助けてもらって、あらためて人の有難みも分かりました。
警察署にて
そうこうしているうちに、警察署に到着。
中に入ると早速、係長Cの姿を発見。
散々酷い目にあわされましたが、一応挨拶します。
このクズ、マジでぶっ〇ろす(#゚Д゚)!
おわり
スポンサーリンク